しずかに流れるみどりの川
2006年1月12日 読書
ISBN:4560027269 単行本 ユベール・マンガレリ 白水社 2005/06/28 ¥1,680
私はこの人の書く作品が本当に好きなんだなと再確認いたしました。「おわりの雪」に引き続き、ユベール・マンガレリとても良かった。
背の高い草むらの中に、長い道をつくって歩き続ける少年。風が草の穂先をかすめる音を「ことばにするのはむずかしそうだ」と思いながら、じっくり考えて得た言葉
「何千本もの細い絹糸が、
さらさら風に吹かれて乾いていくような音だ」。
すごい。少年はたくさんの「ことばにするのはむずかしい」風景に出くわすけど、いつもできるだけ正しく表せるように考えている。いろいろ考えながらぴったりだと思える言葉にたどり着くと、なにかとても正しいことをしたような充足感が彼を包むのだ。
雨が降って草を濡らし、その水滴が蒸気になって空へ昇るときの空気のゆらめき、ブラインドが半分あいて、朝の光が桟の角度にそって射しこむときの「まるで蜂蜜からたちのぼる湯気みたい」な金色のひかり、ばらを売ったお金で草の道を買い(もちろん本当に土地を買えるわけがないことは少年にも分かっている)、その道を売って買おうと思っている川の支流の様子「魚は橋の影にかくれるのが好きで、ぼくの影のなかでも安心しておよいでいた」…。彼の語る言葉は穏やかで、そこに描かれるのは他愛のない景色ばかりだが、どれもみな、かけがえのない美しさを秘めている。それらに触れてなんとか言葉にしようとする少年の思考を、ひとつひとつ正確に追える作者のユベール・マンガレリってホントに何者なんだ。
読んでると何故かヴィクトル・エリセの映画作品が浮かんでくる。物語に漂う静けさだけがエリセ作品を彷彿させるわけじゃないだろう。きっとエリセの映画作品もマンガレリの小説も、描かれる光景があまりにも「正確である」からだ。正しさは人を研ぎ澄ませる。この物語を追うだけで、いつのまにか空気は冴え渡り、水は蒸留水のように透明になって、どんな深いとこまでもクリアに見通しがきくようになってゆくのである。
私はこの人の書く作品が本当に好きなんだなと再確認いたしました。「おわりの雪」に引き続き、ユベール・マンガレリとても良かった。
背の高い草むらの中に、長い道をつくって歩き続ける少年。風が草の穂先をかすめる音を「ことばにするのはむずかしそうだ」と思いながら、じっくり考えて得た言葉
「何千本もの細い絹糸が、
さらさら風に吹かれて乾いていくような音だ」。
すごい。少年はたくさんの「ことばにするのはむずかしい」風景に出くわすけど、いつもできるだけ正しく表せるように考えている。いろいろ考えながらぴったりだと思える言葉にたどり着くと、なにかとても正しいことをしたような充足感が彼を包むのだ。
雨が降って草を濡らし、その水滴が蒸気になって空へ昇るときの空気のゆらめき、ブラインドが半分あいて、朝の光が桟の角度にそって射しこむときの「まるで蜂蜜からたちのぼる湯気みたい」な金色のひかり、ばらを売ったお金で草の道を買い(もちろん本当に土地を買えるわけがないことは少年にも分かっている)、その道を売って買おうと思っている川の支流の様子「魚は橋の影にかくれるのが好きで、ぼくの影のなかでも安心しておよいでいた」…。彼の語る言葉は穏やかで、そこに描かれるのは他愛のない景色ばかりだが、どれもみな、かけがえのない美しさを秘めている。それらに触れてなんとか言葉にしようとする少年の思考を、ひとつひとつ正確に追える作者のユベール・マンガレリってホントに何者なんだ。
読んでると何故かヴィクトル・エリセの映画作品が浮かんでくる。物語に漂う静けさだけがエリセ作品を彷彿させるわけじゃないだろう。きっとエリセの映画作品もマンガレリの小説も、描かれる光景があまりにも「正確である」からだ。正しさは人を研ぎ澄ませる。この物語を追うだけで、いつのまにか空気は冴え渡り、水は蒸留水のように透明になって、どんな深いとこまでもクリアに見通しがきくようになってゆくのである。
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