昨日から「イグアナの娘」が読みたくてずっと探してるんだが、どこにしまったんだか全然見当たらない。それどころか「半神」も「ポーの一族」も「トーマの心臓」も「ウは宇宙船のウ」もない。萩尾望都の文庫が全部ない。どこだ。多分まとめてどこかにしまってあると思うんだが。しょうがないのでおぼつかない記憶を頼りに書きます(申し訳ない)。
なぜか母親から見るとイグアナにしか見えない娘。本当は超美人の秀才なのだが、本人も自分の容姿はイグアナだと認識している。妹は普通の人間の女の子なので、母親の愛情はどうしたって妹の方にしか注がれないのであった。
物語は主人公であるイグアナ少女の目線で進むので、彼女の容姿はほとんどすべてイグアナとして描かれます。この…イグアナがまた可愛いんですよね。困ったもんだ。
最終的に主人公は獲られなかった愛情の代わりに、母親の秘められた苦悩を理解することで救済され、物語は終わるのですが、その辺の読みは私が書くまでもないので思いきって飛ばします(笑)。
私が「イグアナの娘」を気に入ってるのは、おそらく「自分が認識している自分(イグアナ)」と「他人が認識している自分(美人の秀才)」のブレが凄まじく大きい点だと思います。夏目房之介さんがよく引用するように、大島弓子の描く「自分を人間だと思ってる猫」とか、高野文子の描く「自分は幼い少女だと思っているボケたおばあちゃん」とか、他人から見えている自分(本当は猫だったり老婆だったりする)をまったく無視して「自分が認識している自分(猫は人間の少女であり、おばあちゃんもまた幼い少女である)」のまま描かれるというマンガはいくつかあります。また、自分が見えている世界と他人が見ている世界が噛み合わない、著しく異なっているという作品も結構あります。清水玲子の「月の子」に出てくる、「自分の愛した女性以外はみんなバケモノじみて見える」青年なんかはこれです。このバケモノキャラたちもなかなか可愛いんですけどね。
こういうブレが私は凄く好きです。「イグアナの娘」の主人公が持つ「私はイグアナだから愛されない」という呪縛のような認識ですら、途方もなく貴重で尊いものに感じてしまう。自分の認識と他人の認識が噛み合わないというのは滑稽で悲しいことかもしれませんが、同時にすごく頼もしいことではありませんか。こんなにも周囲の認識からズレた自己が確立できている(むしろ周囲の認識に勝っている)って、なんか私にとってはほとんど感動的なのだ。
私も以前はきっと、イグアナと人間くらい自分と周囲の認識が噛み合わっていなかったのだろう。大人になるにつれて統一されていったが、それでもイグアナの自分は残っている。そのブレが他人と私を隔ててくれる。他人と隔たっていることが、死ぬほどありがたいこともあるのだ。
なぜか母親から見るとイグアナにしか見えない娘。本当は超美人の秀才なのだが、本人も自分の容姿はイグアナだと認識している。妹は普通の人間の女の子なので、母親の愛情はどうしたって妹の方にしか注がれないのであった。
物語は主人公であるイグアナ少女の目線で進むので、彼女の容姿はほとんどすべてイグアナとして描かれます。この…イグアナがまた可愛いんですよね。困ったもんだ。
最終的に主人公は獲られなかった愛情の代わりに、母親の秘められた苦悩を理解することで救済され、物語は終わるのですが、その辺の読みは私が書くまでもないので思いきって飛ばします(笑)。
私が「イグアナの娘」を気に入ってるのは、おそらく「自分が認識している自分(イグアナ)」と「他人が認識している自分(美人の秀才)」のブレが凄まじく大きい点だと思います。夏目房之介さんがよく引用するように、大島弓子の描く「自分を人間だと思ってる猫」とか、高野文子の描く「自分は幼い少女だと思っているボケたおばあちゃん」とか、他人から見えている自分(本当は猫だったり老婆だったりする)をまったく無視して「自分が認識している自分(猫は人間の少女であり、おばあちゃんもまた幼い少女である)」のまま描かれるというマンガはいくつかあります。また、自分が見えている世界と他人が見ている世界が噛み合わない、著しく異なっているという作品も結構あります。清水玲子の「月の子」に出てくる、「自分の愛した女性以外はみんなバケモノじみて見える」青年なんかはこれです。このバケモノキャラたちもなかなか可愛いんですけどね。
こういうブレが私は凄く好きです。「イグアナの娘」の主人公が持つ「私はイグアナだから愛されない」という呪縛のような認識ですら、途方もなく貴重で尊いものに感じてしまう。自分の認識と他人の認識が噛み合わないというのは滑稽で悲しいことかもしれませんが、同時にすごく頼もしいことではありませんか。こんなにも周囲の認識からズレた自己が確立できている(むしろ周囲の認識に勝っている)って、なんか私にとってはほとんど感動的なのだ。
私も以前はきっと、イグアナと人間くらい自分と周囲の認識が噛み合わっていなかったのだろう。大人になるにつれて統一されていったが、それでもイグアナの自分は残っている。そのブレが他人と私を隔ててくれる。他人と隔たっていることが、死ぬほどありがたいこともあるのだ。
コメント
あるんだぁって。なんか、精神的に苦しみながら読んだ。
うちの近所の図書館にあるよ。読みに来る?遠いね…
うちの図書館は少女マンガ置いてないので、羨ましいです。
萩尾望都面白いね。内容だけ説明しても伝わらんのがもどかしいね(笑)。