犬のない世界

2008年7月2日 読書
子供が全然生まれなくなってしまった世界を描いた映画「トゥモローワールド」では、誰もがヒステリックになって犬や猫を飼っておりました。すごく分かる気がします。もうそれしかないのだから。

未知のウィルスにより犬だけが絶滅した世界を描いたコニー・ウィリスの「最後のウィネベーゴ」。無理だと分かっていても、諦めきれずにジャッカルを飼おうと試みる人が後をたたない。一度でも犬を飼ったことのある人なら、「バカバカしい」とは言い捨てられないはず。同じ状況になったら、私もそこにすがってしまうかもしれない。

「最後のウィネベーゴ」は、罪悪感から逃れるために間違った事実にすがろうとする主人公と、事実に真正面から立ち向かったがために誤った罪悪感に苛まれる少女の、互いの贖罪を描いた傑作。言っちゃいます傑作って。少女(ラストでは既に成人女性)の一言で主人公の脳裏に溢れ出す記憶の洪水。そこに隠されていた、余りに辛くて故意に隠していた真実と、「もし、あの時これがあれば」、ああはならなかったという平凡で幸福な結末。そしてそして最後の最後にあまりにも皮肉な素晴らしい代償。
すごいもの読んじゃったなあ、と感心しつつ、主人公と飼い犬の絆に涙腺が緩んでどうしようもなかった。これ犬飼ってた人は絶対、電車とかで読まない方がいいですよ。

ひとつ印象に残ってるのは、どんなに愛情深く思っている犬でも、写真に収められるとそこに写っているのは犬の種類を示すものでしかなくなっている、というところ。「ポチ」とか「ミロ」とか思って撮っても、写ってるのは柴犬とかレトリバーとかダックスフントとか、そんな風にしか見えない、と。犬に対する深い愛情を描きながら、一方でこういうクールな視点を持ってるところが私はとても好きです。まあこれもラストに繋げるための伏線のひとつなんですけどね。あ、あと「ミロ」ってのは長嶋有の小説に出てくる犬…(今その話どうでもいいし)。

誰もが罪悪感に耐えられなくて誰かに責任を押し付けようとした経緯が書かれてるだけに、少女ケイティの「わたしがジープで轢いたの!」と真っ向から受け止める姿勢はあまりにも眩しい。そこにつけ入ることでなんとか自分を救おうとする主人公の気持ちも痛いほど分かる。

最後に、私これ読んでてホント堪らなかったんだけど、いよいよ犬が地上から絶滅してしまいそうになる最終段階で、生き残ってるわずか数匹の犬は人間から隔離されるんですよ。その犬(ミーシャ)がね、ずっと入り口のドアを見てるんです。いつか飼い主が自分を迎えに来てくれる日をずっと待ってるの。もお!!もおなんか!!ウィルスに感染して死んでしまうとしても、地上から犬が滅びてしまうとしても、帰らせてあげなよ!!って泣きそうになりました。泣きました。

「最後のウィネベーゴ」は短編集で、表題作だけちょっと長いんだけど、後はすぐ読めるものばかり。最初の短篇「女王様でも」なんかほんの数ページだけど、私実はこれも大好きです。娘がサイクリストになるのを一族の女性全員で止めようとする話。「サイクリスト」が一体何なのかは読んでからのお楽しみ。

コニー・ウィリスは、「うんざりするような会話」を書かせたら本当に天下一品。長編だとそれだけ読んでうんざりしちゃう人も多いと思うけど、短篇だとぎりぎりセーフじゃないでしょうか。ダメ?あかんかった??いやまあ、さすがの私も「タイムアウト」や「スパイス・ポグロム」読んでるとさすがにうんざりしますが(これ読んでると結婚することすら嫌になる)、「女王様でも」の会話なんかは結構好きです。

最初にコニー・ウィリスを読むなら、うってつけじゃないかと思う一冊。表題作だけでも読んでほしーーー!!

『最後のウィネベーゴ』コニー・ウィリス(奇想コレクション 河出書房新社)

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